7.主題講演
「内村鑑三の近代批判」 鷲見 誠一
プロフィール
*1939年(昭14年)2月 東京に生まれる。 *高校2年生から塚本虎二先生の丸の内の集会へ出席。 これ以後、父の所蔵する「内村鑑三全集」の中から様々な論考を読むようになった。 *大学3年生の12月に先生のご病気の為に集会は解散。 *翌年1月より関根正雄先生主宰の「無教会新宿集会」に出席。 関根先生は聖日の礼拝の時にタップリ1時間半かけて聖書を体系的に講義された。旧約聖書であれ次の週の新約聖書であれ、その解釈の内容は、私の理解によれば、信仰は神から与えられるものであって、人間が自分の能力と努力で獲得するものではない、というものであった。そしてそれまでの無教会が聖書学と神学を無視していることを残念に思われたのであろうか、1973年の秋から毎月一回、日曜日の午後に神学研究会を開催されたのである。そしてそこで、カール・バルトの著作(翻訳されたもの)を集中的に我々は読むこととなった。これは、私にとって忘れられない思い出・出来事となったのである。 *先生のご逝去(2000年9月)の後も無教会新宿集会は継続され、私もそのまま在籍して現在に至る。 *1962年(昭和37年)3月、慶應義塾大学を卒業し、大学院に進みヨーロッパ政治思想史を専攻。 *1965年4月に法学部助手となり、2004年に定年退職。 *1992年4月に無教会研修所が発足。関根正雄先生を主事とし、事務局4人の末席に私も加わつた。関根先生亡き後、清永昭次先生が主事代行を務められたが、体調を崩されたので、2003年5月から5人のメンバーから成る運営委員会が実務を担当することとなった。 *その委員会代表を務めていた私・鷲見は2015年1月末から肺結核を患って4ヶ月の入院生活を余儀なくされたので、2016年4月1日から旧約聖書学者として高名な月本昭男先生に代表をお引き受けいただくことになり、今日に至っている。 *無教会研修所の発足と展開については、研修所紀要「無教会研究」第23号(2020)所載の拙論『「種子」は蒔かれた―無教会研修所創設の前段階のひとコマ―』をご参照ください。 先ず、今日ここにお隣の韓国から同信の教友が11人もご参集下さり、誠に嬉しい限りであります。よくおいで下さいました。65年以上前の私の高校時代の漢文の授業で習った中国の詩、「友あり。遠方より来たる。また楽しからずや」という章句を実感している次第であります。 さて、今年の無教会全国集会においてなぜ「内村鑑三」を取り上げるのでしょうか。内村鑑三なくして無教会キリスト教はないのは言うまでもありません。しかし、これまで毎年開催されている「無教会全国集会」と「内村鑑三記念キリスト教講演会」への出席者が分離されているように見えるとの感想を運営委員長の坂内宗男氏が抱いておられ、私も同感でありました。そこで両者をつなぐ為の結節点を非力ながら試みたいと思った次第であります。 内村鑑三は近代の文化・文明の中で成長した思想家ではあるが、その本質を理解し批判する者となりました。彼が教育を受けた札幌農学校も、その後にアメリカに留学して学んだアマースト・コレッジも、人文・社会科学における優れた教育機関でありました。そこで殊に歴史を深く学び、歴史への傾倒は終生かわることがありませんでした。ここからの示唆によって今回の主題「近代批判」も生まれたものと私は考えています。 では、内村鑑三は「近代・近代人」をどの様に把握・理解していたのでしょうか。内村は彼が刊行していた月刊雑誌「聖書之研究」162号(1914年・大正3年1月)において「近代人」と題して近代批判を行いました。 *近代人は福音を恥としつつ、キリスト教から利益を得ようとする人である。 *彼は自己中心の人である。 *彼はキリストの下僕ではなく、そのパトロンである。 *彼は知恵の木の実を喰らったアダムの末裔である。善と悪の区別、正義と不正義の識別ができる最高の存在であると自認する存在である。 「聖書之研究」283号(1924年・大正13年2月)においては、 *近代人は自己主義(エゴイズム)が極度に霊化したるものである。(”the most spiritual form” )「聖書之研究」284号(1924年・大正13年3月)においては、 *エゴイズムは悪魔の精神である。神ならざるに神として自分を万物の中心に置き、之を統御せんとする心の状態である。 さて、これまで述べてきた内村鑑三の近代批判を前提にして、現代に生きる我々は次のように言うことができるでしょう。 近代人は文化・文明の様々の分野において、多くの成果を出してきたことは事実である。しかしその成果を悪用してマイナスの結果を出して来たのもまた、事実である。 15世紀以来、近代人は数多くの戦争を仕出かしてきた。その最初の最大のものは第1次世界大戦である(1914年7月28日-1918年11月11日)。第一次世界大戦は、近代欧米の最大の愚行にして最悪の悲劇である。これは、神なき近代人の疑似宗教である愛国心に人々が駆り立てられた結果である。しかも近代科学の成果を武器製造に悪用しつつ敢行されたのでその結果は悲惨この上ないものであった。戦争とは、国家のエゴイズムの極大化であり、国民一人一人のエゴイズムの極大化でもあった。 「聖書之研究」172号(1914年・大正3年1月)の中で内村鑑三は「欧州の戦乱とキリスト教」と題して以下のように言います。 *国家は戦争に従事して、負けるも勝つも神の刑罰を蒙りつつあるのである。 *今回の欧州大戦争は欧州人の上に臨みし神の厳罰とみるが適当であると思う。 *神は特別に彼等(欧州人)を愛し給うが故に、特別に彼らの罪を問ひ給うのである。 *信仰の何たる乎をよく解する者は、今回の欧州の大戦争において愛の神の大なる聖手(ミテ)の活動(ハタラキ)を認めざるを得ないのである。 更に、「聖書之研究」194号(1916年・大正5年9月)の中で「欧州戦争とキリスト教」と題して次のように言う。 *「依って知るキリスト教は人類に進化、社会の自然的発達を唱えざることを。…その反対に人類の社会の堕落を教ふるのである。暗黒の増進を伝ふるのである。而して最後の大審判を宣ぶるのである。而して審判後におけるキリストの国の建設を伝ふるのである。宗教家と哲学者とが相共にこの無意義の戦争を弁護す、是れ世に光明が絶えたのである。まことにキリストの言そのままが吾人の眼前に出現しつつあるのである。之を見て信仰は起こるべきはずである。……今回の欧州戦争は新約聖書の活きたる註釈である。」 以上に述べてきたような、内村鑑三の第一次世界大戦に対する観方に沿って、我々は近代・現代の日本の歴史を観てみよう。 1895年:日清戦争の勝利の末に略奪した台湾領有 1910年:朝鮮半島の植民地化 1931年:柳条湖事件 1937年:盧溝橋事件 この2つの戦闘行為から始まる日中戦争 1940年:南方侵出(仏領インドシナに進出) 1941年:日米開戦 1945年:8月15日 日本の敗戦 この日本の敗戦は、神が日本人・日本国に下した罰である。これを象徴するものが ① 軍人と一般市民合わせて約300万人の死亡者 ② 広島と長崎への原子爆弾の投下 生き残って現在ここにいる我々が為すべきことは、まずは戦争犠牲者の方々に心からなる哀悼の意を表することでしょう。そして次に私は以下のように考えます。ここで述べた近代・現代の日本人が犯した戦争という犯罪は、近代・現代日本人の原罪である。原罪を身に帯びた日本国・日本人は、神に赦しを乞う以外に途は無い。この重い事実をしっかりと胸に秘めて我々は世界の人々、殊にアジアの人々と交流していきたいと思うものであります。 |